新八くーん、新ちゃ〜ん。
猫なで声で呼ばれて新八は読んでいた本を閉じ、溜息をついた。
口うるさい母親のような、しかし自分よりも10は年下の少年に、おもねるような視線を投げ
銀時はその死んだと称される目を弓形にした。
仕事もないから金もない。でもパチンコには行きたい。
機嫌を取ろうとしているのが見え見えだ。
「何ですか、銀さん」
「新ちゃんのいけずぅ〜、わかってるくせにぃ」
お金ちょうだい。ずい、目の前へ出された手のひらに、もう一度新八は溜息をついた。
この人は今までどうやって生きてきたのだろう、不思議で仕方がない。
「駄目です!お米だってもうたいして無いのに、パチンコに回すお金なんてありません!」
これで我慢してください、新八は小さな飴をひとつ差し出した。レモン味だ。
商店街の八百屋のおばちゃんが、おまけだと言っていくつか新八にくれたものだった。
飴なんて糖の固まりが身体にいいわけも無いが、こんな小さいものならいいだろう。
いつもならこれで誤魔化せる銀時だったが、今回はそうもいかなかった。
もう半月近くパチンコに行っていないのだ、禁断症状が出ているのだと拗ねた様子で言い募る。
新八の差し出した飴玉にも手をつけないところから見て、症状は軽くないようだ。
仕方なく飴玉をしまった新八に、銀時はお金がもらえないことを悟ったのか、溜息をついてこう言った。
「何でそんなに金ないんだよ、お前もしかしてお通ちゃんに貢いでんじゃねぇ?」
それはたいして意味の無い、ただの嫌味のようなものだった。
さぁっ、音が聞こえるほど新八の顔色が変わった。
勿論図星を差されたわけで無く、疑われたことにショックを受けたのだ。
普段は空気の読めない達人である銀時にも、今の言葉はマズッたと自覚できた。
「じょーだんだって・・・、新ちゃんってば真面目なんだからぁ」
乾いた笑い声を上げながら、銀時は「結野アナのお天気が」と言いながら部屋へと引っ込む。
銀時がいなくなっても、その場から新八は中々動くことが出来なかった。
「おい、お前」
川辺で座り込み、ぼうっと川の流れを見つめていた新八に不機嫌そうな声がかけられた。
「飛び込むなら真選組の管轄じゃないとこでやってくれや」
のろのろと新八が顔を上げると、目つきの悪い咥えタバコの男が立っていた。
見覚えがあるな、とぼんやりと見つめていれば、男は舌打ちした。
「お前、万事屋だろ」
「あ、確か、土方さん」
新八の姉である妙のストーカーの、近藤さんの部下の。
そこまで言った新八に、決まり悪げに土方は頷いた。
いくら真実でも自分の大将をストーカー呼ばわりされるのは、気分のいいものではない。
すみません、素直に頭を下げた新八に、土方はもう一度何をしていると問い掛けた。
「何って・・・川、見てました」
「・・・よっぽど暇なんだな、万事屋ってのぁ」
呆れたように呟く土方へ、新八は小さく笑い、顔を向けずに告げた。
「もう僕、万事屋じゃないんですよ」
先ほどまで川辺で遊んでいた子供達もいなくなり、夕闇があたりを包みはじめた。
そろそろ夕ご飯の支度を始めなければならない、と思う自分を新八はつくづく可哀想だと思った。
「・・・働くのって、信頼関係が一番大事だと思うんですよね。
なのに、雇い主にお前がちょろまかしてんじゃないかって疑われてまで、そこにはいられないですよ」
「業務上横領だな、そりゃ。自首でもするか」
今なら手錠かけないで連れてってやってもいいが。本気で言う土方に新八は慌てて首を振った。
「してないですよ、僕」
ぷかぁ、煙草を吹かしながら土方はつまらなそうに新八を見た。
「で?こんなとこで背中に哀愁漂わせながらどうしようってんだ」
いくつだテメーは。
呆れたように言うくせに、新八をおいて帰る気は無いらしい。
どっしりと土方は、新八の隣に腰を落ち着けてしまった。
「リストラされた中年親父か…似たようなもんですよね」
「苛つくな、お前。うだうだ言ってりゃ何とかなんのかよ」
なんともならないことくらいわかっている。でも、此処から動けない。
動いたら、あのヒトたちと一緒にいられなくなる。楽しかった時間は夢に変わる。
だからここで、色んなものが消えてなくなればいいのにとか不毛なことを考えていたと言うのに。
冷たく正論を突きつける土方に、新八は悲しくなった。
「土方さんとか銀さんみたいな・・・自信の塊にはわからないでしょうね」
「ああ、わかんねぇな。わかりたくもねぇ」
益々小さく縮こまってしまった新八を呆れたように見やって、土方は頭を掻いた。
やがて立ち上がると、新八の腕を取って引っ張り上げる。
「うわ」
けして重いほうではない新八は、いとも簡単に立ち上がらされてしまった。
「警察ってとこは未成年の家出を保護しなきゃなんねぇ」
「え、家出じゃないですけど。ただ職場を」
「うるせぇ、屯所に泊めてやるから頭冷せ。そんでまだ辞めたきゃ好きにすりゃいい」
「え、え、ちょっと土方さん」
「お前以外にあんなめちゃめちゃな万事屋連中を、誰が抑えられるってんだよ」
きょとん、新八は眼を瞬かせた。
もしかしなくてもこれは、慰められているんだろうか。
「あんな連中と一緒にやってんだ、それだけで十分自信持てんだろ」
土方の不器用な優しさに、可笑しくなって新八は口許を上げた。
傍から見るとそれは、泣き笑いの表情でしかなかったのだけれど。
銀時は途方にくれていた。
天気予報を見て、昼寝して。起きたら外は夕焼けで。
そろそろおなかがすいたな、まだ支度が出来ていなかったらさっきの飴玉でも良いや。
新ちゃあん、転がったまま呼んだが返事は無い。
寝癖のついた、けれど天パなのであまり目立たない頭に手を突っ込んでぼりぼり掻きながら
この時間新八がいるはずの台所に顔を出す。しかし、そこは昼に見たまま何も変わっていなかった。
「あれ、どこいったんだ?」
まだ買い物してんのか、チョコレート買ってきてくれるかな。
何か口に入れようと、台所を見回したとき、それは目にはいった。
卓袱台の上に普段、新八が管理している万事屋の財布。主に食費用。
「何だ、新八の奴財布忘れてってんじゃねぇの」
サザエさんかお前は。ひとり突っ込み、銀時は財布を取った。
あまりの軽さに溜息をつきつつ、銀時は新八の後を追った。
「新八ちゃん?今日は来てないねぇ。それよりねぇ面白い話がアンのよ」
八百屋のおばちゃんに言われ、銀時は首を傾げた。
野菜は取らないと駄目です。口癖のようにそう言う新八が八百屋に寄らなかったとは思い難い。
おばちゃんはそんな銀時に構わず嬉しそうにトークを繰り広げていた。
「そういや銀さん、飴玉もらった?」
「あ、ああ」
朝、新八が差し出してきたレモン味の飴玉のことだろうと見当をつけ、銀時は頷いた。
「すごく嬉しそうでね。銀さんが喜びます、ありがとうございますって。可愛いわよねぇ、
まったくウチの不良息子にも見習わせたい・・・」
「悪い、おばちゃん。また今度な」
おばちゃんの話を遮って、銀時は走り出した。既に周囲は真っ暗になっている。
わけもなく嫌な予感でいっぱいになった。
そのあと肉屋、魚屋、駄菓子屋と寄ったが今日は誰も見ていないという。
一度事務所へ戻ったが、そこには「腹へったアル」と喚く神楽がいるだけだった。
今日も一日中定春と散歩を楽しんでいたらしい。
「おなかと背中がくっつくネ!!ぺたんこになっちまうネ!」
あの役立たずの嫁はどこネ!ワタシに飯食わせない気ヨ!恐ろしい子!
何処か嫁姑問題を匂わせるような言葉を吐き、騒ぐ神楽を放って銀時は再び外に出た。
嫌な予感はじわじわと銀時の感情を逆なでしていった。
午前様になるまで新八を探し回り、へとへとになって戻った銀時を迎えたのは
「アンタァァ!!今何時だと思ってルのぉ!女ね!女が出来たんでショ!!」
夜中まで元気な神楽の昼メロ劇場だった。
次の日。
起きて銀時はすぐ新八を呼んだのだが、やはり返事は無かった。
何ですか、銀さん。朝ごはんできてますよ、早く起きないと神楽ちゃんに食べられちゃいますよ?
いつもの少し呆れた口調も、困ったような顔も思い出せるのに。
のろのろと布団から出て、銀時は顔を洗うため洗面所に行った。
鏡には情けない顔をした男が映っていた。
一晩を真選組の屯所で過ごした新八は、万事屋へ向かっていた。
やっぱりあそこにいたいのだと思う、今朝方そう土方に言ったら「物好きなこった」と鼻で笑われた。
自分でもそう思います、新八が苦笑すれば、もう土方は何も言わなかった。
まるで犬の子を追い払うように手を振って、新八を送り出してくれた。
怖い人としか認識していなかったが、いい人なんだと知って新八は得をした気にさえなった。
帰ってくる途中実家に寄って、米を少しと沢庵を貰って来た。
神楽のことを考えると少し心もとないが、これで一日くらいは食いつなげるだろう。
妙は寝ていたので声はかけなかったが、いつものことなのでさして気にしないでくれるだろうし。
「ただいま〜…」
誰もいませんように、願いながら万事屋の扉を開けた新八を迎えたのは。
「この放蕩息子がァァ!!亡くなったお父さんに合わせる顔がナイネ!!」
「うわぁぁぁっ!」
強烈な神楽の、ハンガーでの一撃だった。
「いったぁ…」
「痛いのはワタシの心ネ!昨日からろくな物食べてないネ!」
できてしまったたんこぶを撫でながら、新八が恨み言を漏らせば、しれっと神楽は返す。
定春をけしかけられなかっただけ、良しとするべきなのだろうか。
「ああ、うん。それはごめん…」
謝った新八に追い討ちをかけるかのよう、神楽は冷たく言い放つ。
「許さないネ。ワタシ眼鏡嫌いネ」
ああ、本当に凹む。このまま戻ってあの川にでも身を投げてやろうかこのヤロー。
はは、力なく笑った新八に、更に神楽はその大きな目を近づけながら言った。
「ケド、新八は嫌いじゃないネ」
おなかすいたネ、鮭茶漬けヨロシ?どこから出してきたのか丼をずい、と新八に突き出して。
「ご飯できるまで定春と遊んでくるネ」
おいで、と定春を呼び外に飛び出していった。
後ろから見えた神楽の耳が少しだけ赤かったのは、目の錯覚だろうか。
「・・・気のせいだよな、きっと」
おなかがすいて仕方がないところに自分が帰ってきたから。ただそれだけなんだろう。
それでも何となく頬が緩んでしまうのを感じて、新八は苦笑した。
「簡単だよね、僕も」
必要とされるのが嬉しい、なんて。
それが飯炊きとか洗濯とか。家事だけのこととしても。
実家から貰って来た沢庵を冷蔵庫にしまい、新八は洗濯機を回そうと歩き出した。
妙は、新八の居場所を知らないと言った。
それどころか「新ちゃんに何しやがったんだァァァ!!」と締め上げられて殺されかけた。
夜の仕事を生業としている妙には、寝不足の不機嫌さも重なっていたことが銀時にとって不運だった。
必ず無事に探し出すから、と約束してようやく解放されたのだが。
実家にいないのなら、銀時にはもう探し出す術はない。
いっそのこと、多串くんのところに捜索届でも出そうか。
きっと「子供じゃねぇんだから2日やそこらでガタガタ言うんじゃねぇ!」とでも怒鳴るだろう。
嫌そうな土方の顔が想像できて、銀時は少し笑った。
だが、すぐにその笑みは掻き消えてしまう。
銀時は、その足を商店街に向ける。今日こそは買い物に行っているかもしれないと。
財布を置いていったのだから、そんなわけが無いとはわかっていても。
他にどうすればいいかわからないから。
朝も昼も食べず、ふらふらと歩き続けてもうくたくただった。
やっぱり新八は見つからない。見たものもいない。
もう諦めて、新しい助手を探そうか。そうと決まれば今日は久しぶりにパチンコにでも行こうか。
でも――新八がいないから、お金がないから、パチンコにもいけない。
・・・嘘だ。新八はなけなしの金を置いて出て行った。
だから今はチャンスなのだ。パチンコも、甘いものも金が許すだけ、楽しめる。
神楽は昨夜、新八がいないと知ってすぐに冷蔵庫のものを食い尽くした。
今朝はいつもならおなかがすいたと大騒ぎをはじめる時間なのに、起きだしても来なかった。
もしかして従業員二人ともに愛想つかされちまったか、と自嘲的には何故かなれなかった。
だって、いなくなるなんて想像できない。
飲みすぎです、食べすぎです。かいがいしく世話を焼く新八が傍にいないなんて信じられない。
「・・・なんで俺、こんな参ってんだ」
沈み始めた太陽がその頬を照らす。
ぐす、洟をすすり、銀時は事務所への道を辿った。
迎えてくれるもののいない、冷たいままの場所を寂しく思いながら。
「あ、おかえりなさい」
ご飯はまだですから。洗濯物をたたみながら、新八が言う。
「もう、どうして1日でこんなに溜め込むんですか。洗濯機回せばすぐなのに」
「・・・」
「いくつか乾いてないものは外に干したまんまですから。明日の朝にでも取り込んでくださいよ」
「・・・」
「聞いてますか、銀さん」
少し困ったような顔で、背の高い銀時の顔を覗き込む。それが新八のくせだ。
首を少しだけ傾げて真っ直ぐ自分を見てくる新八に、銀時は小さく息を飲んだ。
どうして、こんなに嬉しい。
「・・・銀さん?ブドウ糖が足りないのかな」
糖分取って欲しくないんだけどなあ、ぶつぶつと言いながら新八がポケットから出してきたのは
銀時があの時手に出来なかった、小さな飴玉ひとつ。
「イチゴ味です。レモンは僕、食べちゃいました」
はい、銀時の手をとり、その手のひらに飴を落すとたたみ終わった洗濯物を持つ。
そのまま歩き出そうとした新八の背に、銀時の硬い声が届いた。
「何で、帰ってきたの」
ぴくり、新八の肩が震えた。すぅ、小さく息を吸い込み新八は真っ直ぐ銀時を見た。
「僕は神楽ちゃんみたいな力もないし。剣の腕も十人並だし。あまり、役にたたないかもしれないけど」
それでもやっぱり侍になりたい。父上のような。
ここにいれば、それが叶うような気がするから。
「ここにいちゃ、迷惑ですか」
ここに、いたいんです。
がば、何か温かいものに抱き込まれて、新八は持っていた洗濯物を落としてしまった。
折角たたんだのに、床でぐしゃぐしゃになったそれを情けなく思って見ていたら、銀時に顔を覗き込まれた。
「なぁ新ちゃん」
言葉を探しているような銀時だったが、一つ息をつくと新八の肩に顔を埋めた。
「うわ、ちょ、銀さん?」
体重をかけられ、新八は耐え切れなくて床に座り込んでしまった。
必然的に新八にしがみ付いたままの銀時も同じように座り込む。
「あ〜、もうお前簡単にいなくなんじゃねぇよ、銀さんは心配で仕方なかったよ」
あんなの言葉のあやじゃねぇか。本気にすんな馬鹿。
「困んのよ、お前いないと。突っ込みいねぇし」
俺ボケっぱなしじゃねぇの、ぶつぶつと文句を言いながらも、銀時は新八の身体を離そうとはしなくて。
文句の中で、小さく銀時が「ごめん」と呟いたのが聞こえたのかどうか。
新八はまるで子供をあやすかのように、銀時の背を叩いてやった。
「・・・洗濯物」
「あ?」
「たたみなおすの、銀さんですからね」
明日は銀さんを連れて、御礼と報告を兼ねて真選組の屯所を訪ねよう。
良かったなとは言ってくれないだろうけど、そうか、くらいは言ってくれるかもしれない。
銀時を連れて行った所為で、不機嫌な土方を思い浮かべて、新八は微笑んだ。
「不毛ネ!!サブイボものアル!!」
痺れを切らした神楽が怒鳴り込んでくるまで、二人はそのまま抱き合っていた。
「え!新八、お前多串くんに誘拐されてたのか!?」
「違うっての!!」
あ、甘いですかね・・・