4.零れ落ちる黒髪

 

「なあ、髪に触らせろ」

近藤がそう強請るのは、日常茶飯事だった。

近藤は女性の黒髪が大好きだ。惚れる女はたいてい黒く長い髪の女ばかり。

触れてさらさらと零れ落ちるそのさまが好きらしい。

しかし、女性が好意を持つわけでもない相手に簡単に髪を触らせるわけがなく。

代償行為のように、近藤は長い髪を持つ土方に触れてきた。

 

「男なのにな、お前の髪はきれいだな」

「…嬉しくねぇよ」

無骨な手で細心の注意を払って繊細なものを触るように、近藤は土方のまとめられた髪に触れる。

解いてくれ、と言われたら嫌だ、と言っていたかもしれない。

しかし、ただ触れるだけの近藤の手は嫌いではなかったので、土方はよく触れさせてやっていた。

伸ばしっぱなしだったはずの土方の髪だったが、とくに痛むことなく艶を保っていた。

「いいなぁ、この髪。こんな髪の女がいたら俺ぁ、」

言いかけた近藤を遮るように、いきなり土方は立ち上がった。きょとんとした近藤に背を向け、土方は口元を押さえた。

やばい、やばい。何かわからないけど、何かが拙い。

「あんたは」

しかし、その思いは音にならず、土方は苛立たしげに舌打ちをした。

「トシ?」

「悪い、野暮用だ」

足音も荒く逃げるようにその場から立ち去る土方を、近藤はただ呆気にとられて見ていた。

 

「んで、こんなっ…」

呼吸が苦しくなるまで走り、ようやく土方は立ち止まった。早鐘のような鼓動が耳にうるさい。。

がつん、土方は偶然隣に立っていた不幸な電柱に拳を叩きつけた。

ずっとずっと気づくまいとしていたのに、とうとう土方は近藤への想いを自覚してしまったのだ。

殺すしかないその感情を、腹立たしく思った。

 

その日、土方は髪を切った。残念がる近藤に、あっさりと土方は告げた。

「うぜぇから」

ふん、いっそ憎らしい態度で近藤に接する。

きっと、目の前の鈍感な男は不機嫌だな、くらいしか思わないのだろうけれど。

 

髪も、この想いも。

いっそすべて、この手から、この胸から零れ落ちてしまえばいい。

そう、願った。

 

 

 

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5.黒髪にくちづける

 

文机の上に紙を広げて、土方は何かをしている。時折書き込んでいる様子からしておそらくは上からの御達しか何かなのだろうとは思うが。

目の前で転がりながらじっと見ている沖田の存在には気づいているだろうに、ちらりとも目をくれない。

しばらく黙ってみていたがとうとう痺れを切らして、すねるように沖田は声を上げた。

「…相手してくだせェよゥ」

「暇ならその辺見回って来い、アホ」

一言発せば、応えはくれるものの、それは沖田が欲しいものとはかけ離れた言葉だった。冷たいでさァ、ひとりごちころりと土方に背を向ける。

構ってくれない飼い主に不貞腐れた猫のような態度。

それに小さなため息をこぼし、土方は机に広がっていた紙をばさばさと音を立てて小さく折りたたんだ。

このまま放っておいても一向に構わないのだが、そのうち我慢出来なくなった沖田が騒ぎを起こし、

その後始末に駆けずり回るのはどうせ土方なのだ。それは御免こうむりたかった。

だったら、今少し相手をしてやったほうが自分のためだろう、そこまで考えて土方は沖田の名を呼んだ。

「総悟、ほら」

行くぞ。立ち上がり踵を返した土方の髪がふわりと揺れる。置いていかれまいと慌てて立ち上がった沖田の目の前で。

まとめられたそれに無意識のうち触れようとして、沖田は手の平を握りこんだ。

土方の背で自由に揺れるそれに触れてしまったら、後戻りはきかない気がして。

自由なままのこの人を、自分のエゴで縛りつけることすら厭わなくなってしまいそうで。

「総悟?」

肩越しに振り向いた土方に顔を見られたくなくて、沖田は土方の背にしがみつく。

「…重いぞ」

「あんたより軽いでさァ」

「ったく」

離れるつもりのなさそうな沖田に溜気をつき、後ろにしがみつかせたままで土方は足を進める。

時折ふわりと頬に触れる黒髪が、慰めるように撫でてくれている気がして、沖田は目を閉じた。

「…ねぇ土方さん。これ、この髪。もうすぐ切っちまうんでしょ?」

「あぁ、もう丁髷結うわけでもねぇし」

動くのにも邪魔だしな、苦笑を漏らし応える土方に、もったいないと沖田は呟いた。

邪魔、と言われたのが少しだけ苦しい。自分のこの思いも邪魔なものだと言われた気になった。

「もったいないか?どうせまた伸びるもんだろ」

いい加減離せ、馬鹿。

言いながらも突き放さないのはこの人の優しさなのだろうと沖田は思う。

だから、自分はここにいてもいいのだ。

「嫌です。腹減ったんで動けません」

「ああ?」

「ついてきますよぅ、どこまでも」

冗談めかしながら、沖田は土方の背にしがみつく力を強める。

 

ふわり、目の前で舞った黒髪にくちづけて。

 

 

 

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7.地に落ちた、黒髪

 

「あ、あぁっ」

白い首筋が、沖田の眼前に晒される。こんな簡単に、急所を晒す人じゃなかったのに。

そう思うだけで沖田の心は乱される。

違う、違う。こんなの、土方さんじゃない。あのふてぶてしい、殺しても死なないような命汚い男。

それが――――あの人だったのに。

「やー、あぁっ、ひっ」

乱暴に揺さぶられ、しゃくりあげるように呼吸し、沖田を受け入れさせられた身体が痙攣する。

首筋に食いついてやっても、それすら快楽に変わるのだろう。頬を上気させて焦点の合わない瞳が空を彷徨う。

生理的な涙はこぼしても、悔しげに唇をかみ締めることはない。

嬌声は漏らしても、乱暴な拒絶の言葉がその口からは出てこない。

 

だって、この人は壊れてしまった。

 

 

土方が行方不明になった。

屯所にも姿を現さず、家にも戻っていない。もしやと身元不明の遺体さえ捜索したが、見つからなかった。

女のところにでも転がり込んでいるんだろう、あの人はもてるから。

そんなふうに隊士たちの不安を紛らわしているのにも限界があった。

その不安が真撰組全体を覆いつくしそうになったとき、ひょっこりと土方は戻ってきた。

ただ、自分の足ではなく。

今でも思い出せる酷い有様で。

何をしていたのか、何が起こったのか。

それは土方を連れてやってきて、塵のように捨てていった幕僚たちの含み笑いで知れた。

所詮幕府の犬である真撰組に抗議など許されはしない。

それでも、お上への反逆罪だとしても斬りかかってやりたかった。

死ぬことなど怖くなかった。今の状況が少しでも打開されるのならば。

土方が、いつもどおりにこちらを見てくれるのならば。

 

だが、近藤に制され、土方のやったことがすべて無駄になると諭されて、かろうじて沖田は剣を抜くのを堪えた。

噛み締めすぎたせいで近藤の唇からも血が滲んでいたのを覚えている。

 

 

鬼のようだ、と称されたあの人はもういない。

痛みを痛みとも思わずに。

独りで決めて。

独りで全てを守ろうとして。

独りで――壊れて。

「明日の相手は近藤さんですか?それとも山崎?」

明日は優しくしてもらえるといいですねィ、誰に抱かれているかもわかっていないだろう土方に語りかける。

疲れきって眠りのふちにいる土方に小さく息をついて、沖田はその黒髪へ顔を埋めた。

こうでもしないと朝まで眠っていてくれないから。だから仕方ないんだ。

そう自分に言い聞かせ、黒髪に頬を擦り付ける。汗の匂いがした。

 

それだけが、きっと変わっていないものだった。

 

 

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9.汗に濡れた黒髪

 

 

 

「・・・ここは避難所じゃねぇんだがな」

苦々しげに煙草をふかしながら、不機嫌そうに土方は言った。

 

始まりは、ついさっき。

大きな荷物を抱えた新八に出会ってしまったのが運のつきだった。

と、いうか正直「またか」という気持ちであるのだが。

「今度は何だ?菓子でも食われたか?それともコンサートのチケットを金券ショップに売り飛ばされたか?」

両方とも今まで何度も聞かされた家出の理由だ。家出と言うのは語弊があるのかもしれない、職場放棄だろうか。

どうでもいいことをつらつらと考えながら、土方は目の前の少年を見やった。

自分の家であるかのように寛いでいる・・・腹立たしい。

ああ、こんなことなら声などかけずに通り過ぎてしまうべきだった。数刻前の自分の行動に後悔しきりの土方だったが、それは敵も然るもの。

もし土方が声をかけなくとも、勝手についてきただろうことは容易に想像できた。

その辺は職場で鍛えられたらしく、相当図々しくできている。

「あ、おかまいなく。湯飲みは持ってきましたから」

大きな風呂敷包みから湯飲みとお茶のティーパックを取り出し、目の前のポットから勝手知ったる様子でお湯を注ぐ少年。

彼は志村新八と言うらしい。近藤が懸想する、妙の弟だと言うことは知っていたが、苗字はつい最近知った。

名前のほうは、思い浮かべるだけで腹の立つ万事屋の総大将が、幾度も呼ぶのを聞いて知っていたが。

かろうじて土方の分も淹れてくれるのが、可愛いと言えば可愛いといえるのかもしれない。

けれど、そんなことで絆されてやるわけにはいかない。だってもうこれで四度目だ。

仏の顔も三度まで。昔からそう言われているではないか。

「帰れ」

「嫌です」

もう幾度も同じ押し問答を繰り返している。土方は首を振った。

嫌だ、といわれようとこんな状況は俺が嫌だ。

「とにかく屯所を実家代わりにすんじゃねぇ!ネェサンがいんだろお前」

実家に帰れ、そう言ってやったがつん、と顔を背けて言い訳なのか何なのか、ぼそぼそと口だけ動かす。

「姉上に心配かけたくないんです」

「俺の心痛はどうなんだよ」

「警察は困った市民の味方でしょ?いいじゃないですか少しくらい」

「困ってんのはこっちだっつーの。いいから帰れ」

「嫌です」

・・・堂々巡りだ。

 

もう三度もここに留まっているのがばれているのだから、実家だろうが屯所だろうが変わらないと土方は思うのだが。

だって実家にいると迎えに来るんですもんなどとまるで惚気のような、そんな言い訳。

誰がだ、なんて問う気にもならない。屯所前で喚き叫び、懇願していたのは、先ほど思い浮かべた男で。

ごめんよぅ、新ちゃん。頼むから帰っておいで。

むかつくほど甘い、近所中に響き渡る声で悲劇に酔うように歌いやがったのだ。

このときばかりは本当に、土方も天人のもつ機関銃とやらを手に入れて、奴を穴だらけにしてやりたくなった。

・・・・・・そうなったら穴と言う穴から騒ぎ出しそうだが。

想像してしまい、土方はぶるっと身体を震わせた。冷や汗すら背筋に浮いた。

「頼むから帰ってくれ…」

少しだけ下手に出たが、新八は目もくれず。

「イヤです」

 

 

 

そして。

 

「しんちゃぁぁぁぁぁん〜〜〜〜!!!!!」

恐れていた事態に、土方は机に突っ伏した。もう何も聞きたくない。

呼ばれた本人はしれっとした態度で、土方の前でお茶をすすっている。

「ごめんよぉぉぉ〜〜〜〜〜、だいすきだから〜〜〜〜、ゆるしてぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜」

 

銀時の声が音量を増すたび、土方の胃はキリキリと悲鳴を上げ、額には脂汗が浮いた。

「…何とかしやがれ」

「イヤです」

「…出て行きやがれ」

「イヤです」

 

「しんちゃあああああああああああああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜ん」

 

土方の平穏は、まだまだ遠いようであった。

 

 

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タイトル的に最初はエロ書くつもりだったんだろうねぇ、あはは