1.黒髪のあの人

 

「・・・あ、そうだ銀さん」

いつもどおり一緒に寝て、いつもどおりの行為がひと段落ついたところで新八は昼間の出来事を思い出した。

銀時の裸の腕の中、ころんと寝返りをうって新八は、未だだるい身体の向きを変える。

まだ頬は上気したままだし、眼元も潤んでいるし、声すらもかすれていた。

行為の痕跡を色濃く残した新八を前にして、黙っていられるほど銀時も枯れていなかった。

「あ、ちょ、さっき散々っ…」

「うん、も一回ね」

「も、や、もうっ、出ない…っ」

言いかけた言葉は喘ぎにかき消され、新八は再び銀時に翻弄されることとなった。

 

 

「もう、何言いかけたか忘れちゃったじゃないですか・・・」

文句を聞き流して、銀時は泣いて赤くなった新八の目元に触れた。

それが気持ちいいのか、恨み言はなりを潜め、もう新八は半分うとうとと、眠りかけている。

「いいよ、おやすみ」

「・・・でも」

「明日思い出せばいい。思い出せなかったらたいしたことじゃねぇんだろ」

「う・・・ん、そう、か、な」

瞬きを繰り返し、頷いた新八の髪に触れる。天然パーマの銀時とは違い、手の平からさらさらと零れ落ちる。

それが心地よくて、何度も何度も銀時は少年の黒髪に手をやった。

新八の黒髪を撫でている銀時の顔は、白夜叉と呼ばれた頃を知るものなら目を疑うほどに優しい。

「あ。思い出した」

閉じかけていた瞳をパッチリと開け、髪を撫で続けていた銀時の手を、新八は掴む。この手のおかげで、思い出した。

髪から手を離されるのを少しだけ残念な思いで見ていた銀時へ、新八は眼鏡越しでない視線を向けた。

「昼間、買い物に行ってる時なんですけど、声かけられたんです」

「ナンパかよ、誰に?」

「違いますよ、僕の名前知ってましたから」

「ふぅん、で?」

「それで、僕の髪、撫でたんです」

やっぱりナンパじゃねぇか、不機嫌そうな銀時に苦笑し、否定すると新八は言葉を続ける。

「だって『銀時によろしくな』って言ったんです、その人」

「…俺?」

「ええ、そのうち挨拶に行くからって」

その言葉を聞いた途端、すぅ、無意識のうち銀時の背筋が冷えた。

商店街の人間なんかだったら新八も知っている。そうでなく、新八の知らない銀時の知り合いと言ったら。

 

 

「あの人、黒髪で片目に包帯巻いてました」

 

 

 

「・・・さん、銀さん!」

「あ、ああ」

反応の薄い銀時を不満そうに見やって、新八は頬を膨らませた。

もしかしたら昔の友達なのかもしれないと思って一生懸命思い出したと言うのに。

「寝てたんですか?僕の話聞いて…ってうわ!」

いきなり銀時に羽交い絞めにされ、新八は悲鳴を上げた。痛いほど抱きしめられている。

痛い、文句を口にしようとしたが、一瞬見えた銀時の顔がまるで無表情だった気がして言葉は音にならなかった。

今、逃げてはいけない気がして新八は、そっと自分にしがみ付いたままの銀時を呼んだ。

「・・・銀さん?」

「もう、会うな。そいつと話しちゃ駄目だ」

怒るわけでなく、喚くわけでなく。ただ淡々とそう告げた銀時に、少しだけ戸惑ったものの、新八は頷いた。

どうして、と思わなかったわけではない。けれど。

「うん、わかった」

もう、会わないし話さないから。

そう言ったら銀時がやっとガチガチに強張っていた身体の力を抜いたから、まぁいいかと思う。

知りたくないといったら嘘になる、けれど。

「もう寝よう、銀さん。明日仕事あるでしょう」

「そうだな、おやすみ新八」

「おやすみなさい」

それでも、知ることでこの日々が終わりを告げるくらいなら、僕は何も知らなくていい。

銀時が目を閉じるのを確認し、新八はその胸に顔を埋めるように視界を閉ざした。隣の体温を失くしたくなかった。

 

 

思いと裏腹に、新八が再び高杉と会い見えるのは、そう遠い日のことではないとしても。

 

 

 

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2.跳ねた黒髪

 

言い訳なんてしないほうがカッコイイに決まってる。でも。

それで大事なものをなくしてしまうくらいならいくらでもみっともなくなれる自信があった。

 

「すいませんでした」

床に額をつける勢いで頭を下げる銀時を、静かに少年は見ていた。

「なんかの間違いだろうとは思ってたんだけどよ、訳ありっぽかっただろ」

だからあえてあの女の策略に乗ってやったのだ、と銀時は必死に言い訳をする。

が、やはり目の前でソファに座ったままの新八は一言も口を利こうともせずに、赤い瞳をしょぼしょぼと瞬かせていた。

 

今朝、いつものとおりに万事屋に来て定春に声をかけて、押入れで寝ている神楽を起こした。そこまでは本当にいつもと同じだった。

だからこそ、銀時の部屋へ足を踏み入れた途端の衝撃は、余計に大きかった。

新八以外の、しかも麗な女性を隣にすやすやと、気持ちよさそうに寝入る男。動揺が酷すぎて、そのときはかえって冷静になれた。

平気な顔で二人と対峙していたが、やはりショックは大きくて新八はいつものように一緒に朝食を摂ることができなかった。

・・・さっちゃんと名乗った女性の納豆騒動と、神楽の食欲のせいで目立ちはしなかったが。

二人が連れ立って父親に挨拶に行くと出て行った後、神楽も食休みと称して定春と部屋を出て行って。

一人になった途端、知らず知らずぼろぼろと流れ始めた涙を新八は持て余した。

銀時と身体の関係を持ってそう経っていなかった。もちろん長く続くと思ったわけでもないし、続けるつもりもなかった。

だからああ、そうかと。やっぱり僕は遊びだったんだと。そりゃそうだよ、誰が男に本気になるもんか。

そう思っただけ、だったはずで。

なのに、流しで洗い物をしながら新八は泣き続けた。涙が泡を吐き出し続けるスポンジに滲みて、排水溝に吸い込まれるまで。

 

頬に触れる暖かさに目を覚ました。

いつの間にかソファで眠っていたようで、定春が濡れた頬を慰めるように舐めてくれていた。

ふさふさの頭を撫でていたら、少しだけ落ち着いて。それを見越したように神楽が定春を呼び、散歩にと再び外へ飛び出していった。

もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない、一人と一匹に感謝する。

しん、と静まり返った部屋で、新八は再びソファに転がった。

銀時は大人の男だ。新八の前にも何人か、恋人なり身体の関係だけなりそんな存在がいただろう。

それを責めるわけではないし、自分だけだと甘い言葉をかけてほしいわけでもない、はずなのに。

 

なんでこんなに胸が痛い。

 

 

 

 

 

「綺麗な人ですよね」

ぼそり、ようやく口を利いたと思ったらそんな言葉が漏れて、銀時は嫌な汗を首筋に感じた。

泣きながら眠っていたのか、新八の目元は赤い。跳ねた黒髪すらが自分を責めているように感じてしまう。

「あ、だから、えーっと、俺には何もやましいことなんか」

「何でそんなこと僕に言うんです。気にしてないですから」

気にしてない、と口では言うが新八は銀時が戻ってきてから一度も目線を合わせてくれない。無意識なのかどうかはわからないけれど。

しかしどうにか話をしたくて、銀時は再び口を開くが、それを遮るかのように新八はゆっくりとソファから立ち上がった。

伏せ眼がちの黒い瞳は紅い瞼に隠されて、銀時からは見えない。

「あ、なぁ新八!」

慌てて声をかけるものの、新八はやはり銀時を見ようとしなかった。

「すみません、帰ります。今日の給料は要りませんから」

のろのろと入り口へ向かう新八の腕を、銀時は咄嗟に掴む。

びく、それとわかるほどに震えた新八の動きを遮るように、銀時は入り口との間に立ちふさがった。冗談ではない、と思った。

相手は子供だと言う頭があったが、それでもそれを思いやってやれる余裕などない。

掴まれた腕が痛いらしく、新八が身じろいだがそんな動きも察してやれないほどに。

「・・・っ、銀さ、痛・・・」

「このまま誤解されたままなんて、お前は悲劇に酔ってりゃいいのかもしんねぇけど、銀さんの気持ちがかわいそうでしょうが」

「え」

「教えろ。どうすりゃ信じてくれんの?」

何回も好きだって言ったでしょーが。お前はどうしていつもいつも予防線を張るの?

疑問符だらけの銀時の問いに、新八は息を呑んだ。思い当たる節が多すぎて。

「男だから?子供だから?いつになったらお前は俺と向き合ってくれんの?」

「・・・」

「身体だけってそう思ってた?生憎だけど俺ぁ男の身体なんて興味ねぇのよ」

怒ったように言葉を続ける銀時に、新八は口を挟むこともできず項垂れる。自分のずるさを糾弾されているような居た堪れなさ。

でも、だって、傷つくのは怖い。捨てられるのは嫌だ。

銀時は根無し草だ。いつかどこかへ新八を置いていってしまうだろう。

しかし、家族のある新八が、ついていけるわけがない。大事な大事な、姉なのだから。

「・・・」

新八は、頑なに口をつぐんでいる。きっと今何か言おうものなら泣き喚いてしまうと自分でわかっているのだろう。

小さくため息をついて、銀時は頭を掻いた。まったく面倒くさい。けれど。

「・・・ごめん、不安にさせた」

それでも、手を離す気にならないのは事実だから、離したくないから、先ほどまでの強張った声音とは裏腹に、穏やかに新八を呼ぶ。

「新八、こっち見て。銀さん一仕事終えてきたんだよ。労ってよ」

全部話すから。お前が知りたいなら、何だって。

「お」

「お?」

「おつかれ、さまでしたっ…」

ぐすん、洟をすすりながら必死にそれだけ言った新八の跳ねた髪を、銀時は撫でた。

不安なのは自分のほうだ、銀時は思う。己と比べて新八は若すぎる。

本当なら大人であるはずの自分が、新八を宥めて正しいとは言えない関係を終結させるべきであるのかもしれない。

できるはずもないことを考えてみる。しかしすぐその想像は却下された。

・・・別れたって元に戻ってしまうだろう自信、というより確信がこの胸のうちにあるから。

 

 

撫でても撫でても、それに反発するかのように跳ねる髪に訳もなく安心して、しゃくりあげる新八を銀時は抱きしめた。

 

 

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3.少し伸びた黒髪

 

はた、と目が合った。

どこかで見た顔だった。いや、忘れたくても忘れられない顔だった。

無表情だったその顔は、少しだけ表情をあらわにし。

口元だけで、久しぶりと形作った。

 

「ま、どうぞ。汚いとこだけど」

謙遜でもなんでもない、本当に足の踏み場もないほど散らかったそこに、新八は足を踏み入れた。

見覚えのないその場所に少しだけ視線をめぐらせたが、すぐに俯き新八は瞬きを繰り返した。

目の前には銀髪の男が、昔と同じへらりとした情けない表情で新八を見ている。

銀さん、呼ぼうとして唇を噛締めた。知るものか、こんな男。

記憶をなくしたからといってすべてを捨てて、自分の目の前から姿を消した酷い男のことなど。

あのあと、どうしても戻ってこない銀時を待ち続ける神楽とは、いつからか連絡が取れなくなった。

怖くて、万事屋があった場所にも立ち寄ってはいないし、何より今の自分を見られたくはなかった。

「髪、伸びたねぇ」

沈黙を守る新八に焦れたのか、飄々と話しかけてくる銀時の声は昔のまま。

変わってしまったのは、自分の伸びた髪だけではなく。

「ねぇ、あそこで何してたの?」

びく、責める様な声音でもないのに肩を揺らし、その問いに答えられないのは、きっと新八が変わってしまったから。

「別に…」

そっけなく聞こえてくれるといい、そう願いながら新八は今だ銀時の顔を正面から見ることができない。

後ろめたいことなど何もない、だって先に逃げたのはそっちじゃないか。

それでも。

「新八」

名前を呼ばれれば、泣きたくなる。昔のように縋りつきたくなる。

でも、もう捨てられたくないから。きっと今度突き放されたら自分は壊れてしまうから。

「…帰ります」

何で付いて来てしまったのだろう、戻れるわけなんかないのに。

踵を返した新八の腕は、あっさりと銀時の手に掴まれた。

 

 

抵抗しようとする手を取り、そっと口付ければ何かを堪えるような声が新八から漏れる。

その手のひらは、胼胝すら見当たらなくて新八が今までどのような生活を送ってきたのか、送らざるを得なかったのか物語っていた。

「ごめん、戻ってきて」

唇を噛締めたまま、銀時を見ようともせずに新八は黙っている。嬉しいのではない、悔しいのだと銀時にはわかっていた。

なぜあの時逃げたのだ。なぜあの時、振り返らなかった。

もし、振り返って大切な人をその目に映していたなら。

「神楽も、新八がいないとイヤだって言ってる」

――俺も、イヤだ。

だから。

「お願い、逃げないで」

「っ、や」

首を振り、すべてを拒絶する姿に胸が痛んだが、銀時は新八を抱き込んだ。

肩越しに濡れた感触は、新八の涙だろう。更に銀時の胸は痛む。だがこれは、甘い痛みだった。

記憶を取り戻したときに、既に手から逃げ出していたそれを、再びこの腕にした。

後悔した。懺悔もした。泣いたし、喚いたし、自傷騒ぎだって起こした。

その傷はもうふさがっているけれど、じくじくとした痛みは胸の奥でずうっと燻ぶっていた。

「や、放…」

「名前、名前呼んで」

さっきから願い事ばかりだ、銀時は苦笑を浮かべた。相手の願いなど聞き入れず、自分のことばかりだ。

そうだ、昔から俺はこんな男だった。

「呼んで、新八」

「っ、銀さ」

食いつくようにその唇へ噛み付いた。悲鳴のような、かすれた音が咽喉から漏れたが、それは銀時が飲み込んでしまった。

怯えて縮こまる舌を追いつめ思うさま貪れば、新八のかくかくと震え続けていた膝が折れ、ぐったりと体重を銀時へ預けてきた。

「帰るよ」

「い、やっ」

力なくそれでも首を振る。小さく溜息をついて、銀時は新八の着物の合せを割り開いた。今度こそ悲鳴が部屋に響き渡った。

泣かなくていいのに、新八は泣きじゃくる。帰れないと戻れないと。

傷だらけの身体。筋肉がつき始めていたはずなのに、更に細くなったようにすら見える。

『・・・新ちゃん、もう帰ってこないつもりなのかも、しれない』

妙の声が銀時の耳に蘇った。そのときの衝撃と共に。

でも。

 

 

 

 

はた、と目があった。

艶やかな微笑がその頬に上がる。

やがて、その他大勢へと向けるその視線が、酷いショックに凍りつくのを、見た。

駆け寄りたいのを抑えて、どうにか足を動かし傍によるのにものすごく体力を消耗した。

久しぶり、声は音にならなくて。

まだ自分の知る新八は、いなくなっていないと確信した。

 

 

伸びた髪は切ってあげる。今は無理でもいつか、昔のように。

だって人は、忘れることができる生き物だから。

傷だらけの新八の、細い身体を抱きこんで銀時は何度も何度も囁いた。

 

その身体から、力が抜けるまで、ずっと。

 

 

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6.頬に触れる黒髪

 

まだ日も昇りきらない午前中。

昨夜から続いていた仕事を終えて、懐も暖かくほくほくと銀時は家に戻った。

「ただいま、っと」

万事屋銀ちゃんと書かれた看板の掲げられた建物に入り、銀時はそんな言葉を自然と口にしていた。

一人で暮らしていた頃はなかった習慣だな、とりとめもないことをつらつらと考えながら足を進める。

従業員二人はもう、戻っているはずだ。徹夜の仕事だったから、もしかして眠っているのかもしれない。

大人である銀時は少しくらい眠らなくとも平気だが、子供二人は仕事中に何度も舟をこいでいた。

まあ、危険な仕事ではなく迷子の猫の捜索という簡単な仕事だったため、それでもよかったのだが。

先に帰れ、と何度も言ったのだが仕事に対するプライドなのか何なのか、新八も神楽も頑として首を縦に振らなかった。

結局猫を捕獲できたのは明け方で、しかも捕獲したのは神楽だった。

やはり残っていてくれてよかった、とは思ったもののそれが彼女の限界だったらしい。

猫を捕まえた途端、気絶するように地面に倒れこんで眠ってしまったのだ。

そうなっても捕まえた暴れる子猫を放さないところに、プロ根性を見た。

ごつん、大きな音をさせていた頭は平気だっただろうか。まぁ神楽だから平気だと思うが。

そんな神楽に負けず劣らず、ふらふらとしていた新八だったが神楽が眠ってしまったことで、反対に少し目が覚めたらしい。

事後処理をするまでの元気はないが、神楽を連れて万事屋に戻るくらいはできると踏んで先に返した。

定春に神楽を乗せて、その定春を連れて。左右にゆらゆらと揺れながら帰る子供を不安には思ったが。

銀時の手の中で暴れる猫を依頼人に返さなければ、報酬は手に入らない。

朝方だし、車も少ないから事故を起こす心配は少ないだろう。後ろ髪を引かれる思いで銀時は、依頼人の家へと足を向けたのだった。

 

 

「ああ、力尽きたって感じ」

部屋に入り、新八の様子を見て銀時はそんな感想を口にした。

隣の部屋では神楽がきちんと布団へ入り、その横で定春が丸くなっている。そこまでしてやったのすら流石といえるだろう。

新八は、着替えもせずにソファへ身体を預け、静かな寝息を立てている。

『だいじょうぶ、れす』

口の回らない様子で、先に神楽を連れて戻った時の新八の寝惚け眼を思い出し、銀時は小さく微笑む。

「…お疲れさん」

ぽんぽん、軽く労をねぎらうように頭を撫でた。

それに反応するかのようにぴく、と肩を揺らした新八に慌てて手を退けたが、黒い瞳がゆっくりと開き銀時を映した。

「あ、悪い。寝てていいよ」

「・・・・」

「新ちゃん?」

もごもご、口を動かし新八は銀時に何かを言ったようだった。

え?聞き返す間もなく再び寝に入る新八が、ぐらりと身体を銀時に凭れ掛からせてくる。

 

おかえりなさい、と。

確かに聞こえた。

 

「…聞こえてたのか?」

銀時の肩に頭を乗せて、すっかり眠り込んでいる新八に囁いてみる。もちろん起きない程度に小さな声で。

くぅくぅと気持ちよさそうに眠る新八を見て、銀時も眠りを誘われる。

とりあえずと自分もソファへと腰を落ち着け、新八の黒髪に頬を寄せた。

「…おやすみ」

くぅくぅと眠る隣の黒髪の持ち主が返事をくれた気がして、銀時も目を閉じた。

 

 

 

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8.血を被った黒髪

 

 

 

がつん、鈍い音とともに、新八の眼鏡が飛んだ。

それからはよく覚えていない。

 

 

「銀さん、銀さん!」

誰かが呼んでいる。揺さぶられているのか、ぼやけた視界に見覚えのある顔が映りこんだ。

「あ、れ、新八?」

ぱちぱちと瞬きを繰り返し、焦点を合わせた銀時にメガネのない新八が、ほっと安堵の息をついた。

ほっとしたと同時に怒りがこみ上げてきたのか、きっと銀時をにらみつけてくる。

「もう!どうして後のこと考えないんですか!土方さんたち誤魔化すの、骨だったんですからね!」

「え?あれ?」

きょろきょろと周囲を見回せば、見覚えのある場所だ。どうやらここは、真撰組の屯所内らしい。

わあわあと時折聞こえてくるわめき声は神楽だろうか。

また、沖田とひと悶着起こしているのか、周囲では野太い男の悲鳴まで聞こえてきた。

 

「何でここにいるんだ?」

「だから!銀さんがっ」

「てめぇが人を殺しそうだって通報があったんだよ」

不機嫌さをあらわに、声を掛けてきたのは土方だった。ずかずかと部屋に入り、どっかりと腰を下ろす。

真撰組の副長である彼は銀時が気に入らないらしく、ぶつぶつと文句を言いながら煙草を胸元から取り出した。

「気がついたなら帰れ。てめぇらがいると、煩くてかなわねぇ」

そんな土方の声も聞こえないほど、周囲の喧騒は激しい。声だけでなく、どたんばたんと明らかに何かの破壊音が聞こえる。

だんだんと増えてくる土方の青筋を気にして、慌しく新八は銀時に説明を始めた。

 

 

「ってーことは、俺いつの間にか事件解決してんじゃん」

「アホか!!犯人を半殺しにしといて何がっ」

「わー、すみません!うちの馬鹿には僕がよぉく言い聞かせますんでっ!!」

銀時の頭をわしづかみ、畳に擦り付けるようにして新八は自らも頭を下げた。

得意だというだけあって、綺麗な土下座に土方は、文句を言いかけた口をしぶしぶ閉じる。

それでも煙を銀時に吐きかけながら帰れという態度を崩さない土方に、慌てて新八は銀時を立ち上がらせた。

「ほんっとすんまっせんでした!助かりました!」

「二度はないと思え」

「はいいっ」

逃げるように飛び出していった万事屋二人をにらみつけ、土方は大きくため息をついた。

それでも消えない喧騒を沈めるために立ち上がるには、少し疲れていた。

知るか、ひとりごちごろりと畳に寝転がる。しかし。

「ぎゃっふぁぁぁ!!!土方さぁぁん!!」

悲痛ともいえる山崎の悲鳴に、ため息をつきながら、それでも立ち上がる人のいい土方なのであった。

 

 

 

「もう!本当は逮捕って所を助けてもらったんですからね!わかってるんですか」

ぷりぷりと怒る新八をなだめながら、銀時は頭をかいた。

「だーかーらー、ごめんって」

「本当僕ってかわいそうですよね、眼鏡は壊れるし」

その新八の言葉に、銀時の脳裏に唐突に情景が思い浮かんだ。

 

犯人の振り回した棍棒が、新八の頭を直撃して、彼の眼鏡が地に落ちた――

 

いきなり肩を掴まれ、たたらを踏んだ新八は、非難の瞳で銀時を見た。

しかし、珍しく真剣な表情をした銀時に、口をつぐむ。

「怪我はっ?」

「え?」

「おま、だって、怪我」

ああ、と納得したように新八が頷いた。銀さん遅すぎ、そう笑って。

 

 

大丈夫ですよ、そう言う新八に早まった鼓動を落ち着かせようと、銀時は小さく息をついた。

やがてゆっくりと面を上げた銀時の顔はいつもと同じ、読めないもので。

それでもぎゅっと握られたままの新八の肩が、少しだけ痛んだ。

「しってるか、新八」

「え?」

「黒髪はな、血が目立たねぇんだぜ」

「あ、そうかもしれないですね。銀さんの髪は目立ちそうですよねぇ」

でも僕、こぶができただけですよ。あっけらかんとそう言って新八は頭を撫でて見せた。

触れれば痛い、と文句は言うがそれでも銀時の好きなようにさせてくれた。

おそらく銀時の取り乱しようを目の前で見ていたからだろう。少しでも安心してくれるのならと。

「人間って、けっこう丈夫なもんですよね」

あはは、笑いながら見てくる黒い瞳に笑い返し、銀時は口から出そうになった言葉を飲み込んだ。

「・・・そーだね」

 

 

 

「さぁて、メガネどーする?新ちゃん」

「実家に確か予備があるんで…」

視界の利かない新八の手を、危ないからという建前で、ぎゅっと握り締めた。

 

 

 

それでも人は、簡単に死ぬんだよ。

 

 

 

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10.シーツに散った黒髪

 

 

 

我慢のできない大人でごめんなさい。

思いつく限りの謝罪の言葉を並べながら、銀時はこみ上げてくる嗚咽を殺した。

 

 

「や、なんっ、でっ…」

かくかくと震えながら、必死に言葉を発する新八を腕の中に閉じ込める。

少年らしいほっそりとした、けれど程よく筋肉のつき始めた身体が銀時の動きに反応していく。

眼鏡越しの大きな目は、うっすらと涙の膜を張り、信じられないといったように大きく見開かれていた。

じっと見つめられるのに罪悪感は大きくなるが、止めるつもりなど毛頭ない。

そんな簡単に止められるような、抑え付けられる想いなら最初からこんな行動に出るわけもない。

もう、駄目だ。何事もなかった顔でただの仕事での付き合いとして過ごしていくなんて。

これでも我慢したのだ、そりゃあもう一人で抜いて居た堪れなさにため息を幾度もつくくらいには。

おかずにしてごめんなさい、朝になるとやってくる新八に心のうちでこっそりと謝罪して。

そんな想いも知らず、おはようございます、なんてにっこりと可愛い顔を見せるなんて酷い男だ。

恨み言さえ心のうちに飼った。まったく勝手な話だけれど。

 

 

「ごめんな」

え?きょとん、とした顔の新八を今まで自分が寝転がっていた布団へと引き倒す。

驚愕の声を上げ、慌てて立ち上がろうとする身体を上から抑え付けて。

「ごめん」

何か言おうとしたのだろうか、開かれた新八の唇に銀時は己のそれを押し付けた。

押さえつけた体が強張ったのがわかったが、構わず強引に舌を絡ませた。

嫌がって首を振るのを許さずに、息すら奪う勢いで。

酸欠にかゆるゆると抵抗をなくしていく身体から、服を剥ぎ取る。

もう、戻れないのだと己に言い聞かせて、ずっと触れたかった夢にまで見た新八に触れた。

暴れる細い手は銀時の髪を引いた。震える白い足は銀時の胸を蹴った。

いやだ、と拒絶の言葉しか漏らさない口は、着物の帯でふさがれて。

邪魔なメガネは頬を張られたときに跳ね飛ばされて、畳の上に転がった。

赤くなった頬が熱を持ち、わあわあと喚いたせいで顔中を上気させて、真っ赤な新八が出来上がる。

その熱を感じたくて、銀時は新八を扱いた。新しい涙がシーツに飛び散った。

かわいそうに、そう思った。

 

体力の限りの抵抗に、無意識に舌打ちを漏らした。

強張った身体をうつぶせにして、腹の下に枕を押し当てる。

獣のような体勢に新八が暴れたが、上から抑え付けられて顔すら上げることは敵わなかった。

いや、とか、やめて、とか。たぶんそんなくぐもった声が、辛うじて銀時に届いた。

届いたからといって、どうしてやることもできないところまで来ていたが。

 

 

漏れた悲鳴は、耳に痛かった。

シーツに散った黒髪が目に痛かった。

抵抗をやめた小さな身体を前に、銀時は泣いた。

ごめんなさい、どうぞ憎んでください。

だけど、どうか離れないで。

 

ごめんなさい。意識のない新八の前で、何度も何度も謝罪した。

 

 

BACK

 

ごめ・・・