ぐす、洟をすすりながら驚いた顔を隠せない銀時は、ばつが悪そうに土方を見た。
土方はそっぽを向いた。付き合っていられるものか。
「とっとと帰れ。ここはお前らの駆け込み寺じゃねぇんだ」
犬にするように邪険に手を払ってやれば、情けない顔をした男が小さく頷いた。
どこに新八が行くかなんてわからなかった。土方の話では、実家にも戻れないだろうという。
とりあえず万事屋へと向かった銀時を待っていたのは、どこかで見たことのある暑苦しい集団だった。
ぱ、と目があって代表者が一人銀時へ近づいてくるのを、息を切らせながら見た。
「あの、隊長を知りませんか」
見たことがあったはずだ、その集団はお通ファンクラブの集団だったのだ。
そして、ファンクラブ隊長である新八を迎えに来たということらしい。
「今日、お通ちゃんライブあるんですよ。隊長が来ないなんて何かあったのかと」
最後まで聞かずに銀時は駆け出した。
「新八、新っ」
ぜぇぜぇと息が切れる。しかし、構わず銀時は走り続けた。新八の姿を探して。
酷い顔だったという、当たり前だ力いっぱい殴りつけたのだから。
無理に開かれた身体は熱さえ持っているだろう。しかしそれよりも。
信頼に近い感情を抱いていた銀時に、乱暴されたという事実のほうがきっと、新八の心を切り裂いたはずで。
「ちっくしょうっ…」
自分のことばっかり考えていたから、新八の気持ちを思いやる余裕がなかった。
どう思われてもいい、この思いを遂げたいだなんてもしかしなくても最低だ。
ただ欲望を叩きつけられ、どれほど新八は苦しんだだろう。苦しんでいるだろう。
「新、しんぱ、ちっ」
誰にも相談なんかできるはずもなく一人で泣いているのだろうか。戻る場所さえ見つからず、冷たい場所で一人で。
殴ってもいいから、斬りつけたっていいから、姿を見せて欲しい。
このまま、会えなくなるのはどうしても嫌だった。後悔なんて久しぶりに味わった。
でも、・・・でも。
新八が好きだという思いは消えてくれそうもない。何度だって抱きたい。この手にその体温を感じたい。
次は間違えない、と思いたいが自信がない。
「は、最低だな」
自嘲の笑みを浮かべたが、すぐにそれは掻き消える。反省ならいくらだってしてやる、けれどそれは今ではない。
とにかく探して探して、謝って謝り倒して。戻ってきてくれ、と懇願してやろう。
みっともなくてもいい、恥ずかしくてもいい。お前を失くすより怖いことなんてない、と大声で叫んでやる。
戻りたがらなかったら、死んでやると喚いてやる。お前は困るだろう?だから。
お願い、姿を見せて。
逃げないで。
どこに行けばいいんだろう。真撰組の屯所を出たはいいが、新八は途方にくれた。
そして自分には行く場所などないのだと思い知る。
なんで、こうなっちゃうんだろう。
小さく洟をすすり、とぼとぼと新八は歩き出した。
銀時は、自分を姉のお妙と間違えたのだろうと――それが新八の出した結論だった。
自分がいけなかったんだ、新八はそう思う。
いつもどおりに銀時の部屋に入って、起こそうとしただけだったのに。
銀時は男だ。だからどうしようもない生理的な疼きに苛まれることもあるだろう。
そんな、タイミングの悪いときに自分が触れたから、いけないのだ。
姉のお妙が、銀時を憎からず想っているであろうことは知っていた。もしかしたら新八が知らなかっただけで、実は既に身体の関係があったのかもしれない。
よく似てるね、と言われたこともままあった。だから、きっと。
「…痛い」
マスクをかけたまま呟いたため、周囲に漏れなかったであろう音は、新八だけにその痛みを自覚させた。
初めて、しかも無理やり引き裂かれた身体は熱を持っている。しゃがみこみそうになるのを必死に堪え、新八は足を進めた。
どこへ行くのか、どうしたいのか自分でもわからないままに。
しばらくは根性で歩いていたが、とうとう堪えきれなくなり新八はその場に膝をついた。
周囲を歩くものたちが邪魔そうに、自分を避けていくのをぼんやりと感じながらも動くことができない。
どうしてどうして?痛いし辛いよ。ねぇ。
「銀さん…」
ぼろ、ずっと耐えていた涙がとうとう溢れ出してしまった。もう、止められない。
小さな嗚咽を漏らして新八は地面へ顔を伏せた。誰に見られようと関係なかった。
「新八!!」
ぴく、肩が揺れた。その反応に安堵して、銀時は足を緩める。
良かった、見つけた。お願い逃げないで。祈るように銀時は、蹲る新八の隣にしゃがむ。
「…あのな。聞いて」
すぅ、大きく深呼吸して銀時は顔を上げない新八の耳元で囁いた。
「好きだ」
返事はない。しかし銀時は焦らなかった。
欲しくて暴走した結果だ、逃げられないだけでもありがたいくらいだ。
「乱暴して悪かった。ごめん。許して」
「…」
「ごめんね」
周囲の目など気にならない。新八が目の前からいなくなることより辛いことなんかない。
「許してくれって言う資格はないと思ってる。でも許して欲しい」
どんなに情けなくてもいい、惨めでもいい。許してくれるなら何だってやってやる。
「お前の気が済むなら俺に突っ込んでもいいし」
「…いやだ」
ようやく返ってきた声に喜びのあまり踊りだしそうになって、銀時はぐっとこらえた。もう少しだ。
顔を見せて。俺に殴られて腫れてしまった顔を見せて。罪悪感に苛まれたいんだ。
そんなものよりもっともっと、お前は辛かったに違いないから。
「どんなに酷くたって俺はお前なら嬉しいんだ」
「……」
「何をされたって…いいんだ」
ふ、息をつく気配がしてゆっくりゆっくりと新八が顔を上げる。目は合わせてもらえないが、それは仕方ない。
往来で膝を突き合わせるという奇妙な形で、銀時と新八はようやくお互いの顔を見た。
「…許しません」
赤くなってしまった瞼に掠れた声。それに募る罪悪感さえ甘く感じる。涙が出そうになって銀時は慌てて鼻を啜った。
「うん、ごめん」
「許さない」
「うん」
本当、ごめん。べたりと地面に額をついた。こんなことなんでもない。
返って新八のほうが慌てている様子に不謹慎ながら笑みが漏れた。幸い新八には見えなかっただろうが。
「とりあえず、帰ろう?」
帰ったら、殴っても蹴っても良いから。お願い。
額に土をつけたまま、銀時に見つめられぎくしゃくと新八は頷いた。
しゃがみ込み背を向けた銀時の背中。悔しいが新八よりも大きい。新八など軽々と背負えるだろう。
聞きたいことは言いたいことは山ほどあったが、限界を感じていた新八は大人しくその背に身体を預けた。
だるさと疲れで銀時の肩に頭を預けた新八に、銀時はたまらない幸せを感じる。
「…どうしよう、大好きだ」
うとうとしていた新八の耳に声が届く。
どうやって許そう、そんな新八の思考は睡魔に掻っ攫われていった。