「ただいま、新八」

ん、と銀時に両手を広げられて、新八は戸惑う。

わかってはいるのだが、どうしても恥ずかしさが先にたって素直に身を預けられない。

「はやく」

急かされ、結局はおずおずと近づくとすごい力で腕を引かれ、あっという間にその身を銀時に抱き込まれてしまうのだが。

「あ、あのっ」

慌てた新八の声などどこ吹く風、頬擦りをしたり匂いをかいだり。

まるで生きているということを確認するかのような銀時のその行為は、新八が戻ってきてからずっと続けられている。

他の者たちも、最初のうちはぎょっとしたように目を見開いていたものだが、今では知らん振りだ。

「ん〜、疲れた」

疲れているのなら、早く風呂にでも入って休んで欲しい。そう思いはするのだが、新八もこうされるのは恥ずかしいが嫌ではないので。

耳まで赤くしながらも、銀時が満足してその身を離してくれるまで大人しくしている。

「よっし、んじゃ寝るか」

いっそ潔くその身を放し、銀時が笑顔で新八を覗き込む。

胸の中が温まる気がした。

 

 

 

あの時、消えてしまいたいとまで思っていたのに、今では生きていることがこんなに嬉しい。

死んでしまっていたら、こんな暖かい気持ちも知らないままに絶望のままこの世から消えていたらと思うと、今でも背筋に怖気が走る。

幸せ、と感じたことは無いがもしかしたらこれがそうなのかもしれない。

「あのっ、布団はひいてありますからっ」

「おお、あんがと。一緒に寝る?」

「……」

「残念。おやすみ」

苦笑のような表情を浮かべて、くしゃりと新八の黒髪をなで、銀時は己の寝床に向かった。

 

からかっているのか何なのか、最近の銀時はそんなことをよく新八に言ってくる。

意味がわからなくて口籠っていると思われているようだが、新八だってそんな子供じゃない。

思い出すのも嫌だが、男同士だって体を繋げられると知ってしまった。

「そんな意味じゃ…ないよね」

ひとり言い聞かせるようにつぶやき、新八は己を呼ぶ声に走り出した。使いっ走りはやることがたくさんあるのだ。

 

 

 

 

 

 

死ぬんだ、とただそう思っていた。怖くは無かった。むしろ早く連れて行って欲しかった。

生きていたって辛くて悲しいことばかりだったから。大事な人はみんな、逝ってしまっていたから。

混沌とした意識の中、銀色の死神を見た。ああ、やっとだ。新八は自ら手を伸ばした。

抱きしめられて、何事か囁かれて。

もう、どうでも良かったから頷いた。連れて行って欲しいと願った。

そして――目覚めたとき、生きている自分に驚いて、傍にいる銀時を凝視した。

なぜ、問いたかったが無理がたたったせいか、声が出せなかった。

目を開いた新八の顔を覗き込み、泣き笑いのような表情になった銀時がそっと部屋を出て行くのだけわかった。

すっと意識が遠くなって、次に目覚めたときは攘夷派の連中が輪になって新八を覗き込んでいた。

驚いて悲鳴を上げかけた新八に、連中を蹴散らすようにしてやってくる銀時の姿が見えた。手には湯気のたつ丼を携えて。

「てめぇら、邪魔」

場所を空けさせてどっかりとその場に座り込んだ銀時は、じっと新八を見つめ、やがてずいと丼を差し出してきた。

「食え。腹減ってんだろ」

「・・・」

確かに腹はすいていた。が、食べられるような気分でもなかった。新八はうつむいてしまう。

咽喉も、体のあちこちも痛い。だから、間違いなく生きているのだろうけれど。どうして。

丼も受け取らず、口を開こうとさえしない新八に銀時はため息をついた。

混乱しているのはわかるが、まるで助けを求めるように視線をさまよわせられるのは、正直きつい。

愛想をつかされてしまっていたとしても仕方がないが、それでももう放すつもりなど欠片もないのだから。

「おい、お前らちょっと出てけ」

いまだ周囲で銀時と新八のやり取りを見守っているうっとおしい荒くれどもに、どすを聞かせてそう言ってやれば、

不満げなどよめきさえ漏れたものの、やがて重い腰を上げ一人二人と部屋を出て行く。

最後に意味ありげな桂が銀時を一瞥し、部屋は二人が残された。言わずもがな、銀時と新八だ。

「……」

「……」

だんだんと銀時の持っている丼から漏れてくる湯気の量が少なくなっていく。それでも部屋の中はなかなか沈黙から抜け出せなかった。

二人とも言いたいことや聞きたいことはあってもそれがうまく音となって口から出てくれないのだ。

それでもやはり、口火を切ったのは年長者でもある銀時だった。

「…さわっていいか」

「え」

無意識にだろう顔を強張らせた新八をなだめるように、銀時は手を振った。

「いや、変な意味じゃなくて。あの、身体おこさねぇと食えないだろ」

これ、と片手に持つ丼を目線で示して、銀時はもう一度新八に触ってもいいかと問うた。

瞳をさまよわせていた新八だったが、やがてようやく聞き取れるほどの小声でその問いを肯定する。

丼を床に置き、両手でゆっくりと新八の体に触れれば、薄くなってしまった肉に胸が痛んだ。

 

ぼそぼそといくらか口に運んだものの、やはり食欲が無いらしくすぐに新八は箸をおいてしまった。

「すみません、もういいです」

「…そうか」

本当はもっと口にして欲しいのは山々だが、無理に食べさせても吐いてしまったら元も子もない。

銀時は渋々新八から丼を受け取った。

「あの、すみませんでした」

「新八」

「助けてくれたんですよね、ホント最後までしまらないなあ」

腹に少し入れたら確かに生きているのが実感できて、新八は自分のしたことがたまらなく恥ずかしくなった。

一人では死ぬこともできなくて、人に散々助けてもらって。

迷惑しかかけられないのに、どうしてみんな僕を助けてくれるんだろう。

「ありがとうございました。僕、もう行きますね」

ここに何も無かったようにいるなんてできない。疎まれていたことを知ってしまったから。

倒れこみそうになる身体を叱咤して、新八はよろよろと立ち上がった。

今更だけれど、これ以上惨めな姿を晒したくなかった。

「…どこ、行くんだ」

静かな銀時の声に、ゆるりと微笑んで。

「姉上を捜します。きっとどこかにいると思うから」

あの、時。

もう駄目だと目を閉じたときに見えたお妙は、迎えに来てくれたのだと思った。

しかし、こうしてまだ新八は生きている。だから、お妙もきっと。

「今度は僕が、姉上を助けるんだ」

「…そうか」

頷いた銀時の顔は見られなかった。泣いてしまうと思ったから。

「俺、人探しは得意だぞ」

けれど、続いた銀時の言葉に新八は目を見開いて目の前の男を見た。

 

「広いお江戸だ。一人じゃ限界があるだろ」

「え…」

「俺たちはまぁ、札付きだが人数だけは多いからな。情報だってその分入りやすい」

銀時が何を言っているのかわからなくて、新八はただその瞳を凝視するしかない。

だって、それではまるで。

「ここにいろ」

これからも、一緒にいていいと言われているようで。

「ここに、いろよ」

ああ、もう駄目だ。

ぼろ、今までこらえてきた新八の大きな瞳から涙がこぼれた。

耐え切れなくなった膝が崩れ落ち、新八は足元に合った布団に突っ伏した。

髪をなでる暖かい手が、優しかった。

 

 

ひとしきり泣いて、落ち着いた新八が鼻をすするのを待っていたかのように、銀時が顔を覗き込んでくる。

「な、ここにいろ」

「でも…っ」

僕は、足手纏いで。お荷物で。

新八の言いたいことがわかったのか、銀時はため息をついた。

深く考えもせず言ってしまったことが新八の心に大きく傷を残してしまったことに、腹が立つ。

しかし、今更本気ではなかったと言い訳をしても、新八は信じてくれないだろう。

「何でも手伝ってやる。もし姉さんが嫌がったら出て行ってくれてもいい。頼むから」

「あ…」

「頼むから…うんって言って」

 

 

 

 

結局新八は銀時の願いどおりにした。

足手纏いは足手纏いなりに頑張ろうと思ったのだ。それに。

必要とされたことが嬉しかった。今も思い出すと顔が緩む。

思い出し笑いをこぼしながら道を歩く自分を少しだけ恥ずかしく思いながら、新八は買い物に向かう。

今日は新八が食事の当番だった。何を作ろうか、考えていたらふと名前を呼ばれた気がした。

 

 

新ちゃん!

久しぶりのその呼び名。ふ、と振り返った瞬間にどくん、心臓が跳ねた。

もう、死んだと思っていた姉の、泣き笑いの顔がそこにはあった。

 

 

 

 

 

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