僕がいけない。ここに残りたいなんていったから。
何の考えもなく姉上をここにつれてきたりしたから。
いつだって、思うようにことが進んだことなんかなかったのに、期待してしまった。
みんな、優しいから。願いをかなえてくれようとするから。勘違いしてしまった。
「…っ」
浮かびかけた涙を、唇をぐっとかむことでこらえる。泣くのはいつだってできる。
自分のせいで、大好きな人たちが傷つけあうのは嫌だ。
どんなことをしても止めてみせる。
あのとき、こっそりと握らされていたメモを頼りに、新八はお妙のいるであろう侍の屋敷へと足を進めた。
「君がお妙の弟か」
息を切らせながら飛び込んだ屋敷には、お妙はいなかった。泊りがけで使いに出ているという。
その代わりというように、その屋敷の主人が直々に新八を出迎えた。
破格の扱いに新八は困惑したが、どうしても気になっていることのために誘われるまま中へ入った。
もう、あの場所を知られてしまっているのか。いつ攻め込むつもりなのか。
こくり、息を整えて、新八は目の前の男を見た。
侍というよりも、商人といったほうが似合う風合いの男だ。年齢は銀時よりも上だろうか。
笑顔で迎えられているのに、どこか空々しい空気が新八を包む。
「あの、姉上は…」
「心配しなくても明日には戻るよ。今日は泊まっていくといい、そうすれば無駄足にならずにすむだろう?」
親切ごかしにそういう男。しかし、その瞳は笑っていない。
男の吸う煙草が慣れなくて、小さく咳き込む。かなりのヘビースモーカーなのか、立派なテーブルに載っている灰皿は満杯だった。
そういえば煙草を買いに出たんだっけ。ぼんやりとそんなことを思った。
座るように促され、立派な座布団へ腰を落ち着けるが、どうしても座りが悪くて新八はおずおすと周囲を見回した。
「さて、御用は君の身の上についてかい?」
いきなり掛けられた言葉におもわず男を凝視すれば、冷たすぎる視線が新八を貫いた。
新八が子供だからか、少しも主人は心の中に持つであろう闇を隠そうとしていない。
ぞくりと背に怖気が伝う。
私は慎重なんだよ、男は鼻で笑った。
「新しい雇い人の身上を調べないと思うかい?」
お妙に弟がいることも、その弟がどこにいるのかも知らないわけがないじゃないか。
楽しそうに男が笑う。新八の顔から血の気が引いた。
「例えば、だ」
伺うように新八を見る男の目は、獲物を狙う蛇のようだ。じわじわと締められ、息が苦しくなっていく。
ぎゅっと胸元を握りしめ、必死に新八は飲み込まれないよう意識を保とうと男から目を離さずにいた。
しかし、その男の姿が段々と歪んでいく。瞬きをしてもそれは変わらなかった。
ぐらぐらと揺れる頭の中、男の声が響く。
「私が攘夷派を一掃したとしよう。どうなると思う?」
まるで、先生が生徒に問題を出すような口調でその男は言った。
新八は口を開きかけて又とじた。咽喉がからからだった。
「名誉と、金が手に入るんだよ」
男という生き物が欲しがるもの、両方が手に入るんだ、うっとりと男は新八を見つめた。
「そのためにはどうしても君の情報が必要だ、わかるね?」
すっ、と意識が暗転した。
どさり、という音で自分が横倒しに倒れたことに気づいた。起き上がろうと思っても身体が言うことを利いてくれない。
倒れた拍子に外れた眼鏡が、薄く新八の様子を反射したが、それすら見えない状態だった。
ふわふわとした頭の中は眠りを誘うように真っ白になってゆく。
視界も男の吐き出した煙草の煙で白く染まっていった。くすり、新八は小さく呟いたがそれは音にならなかった。
「君は姉思いだねぇ」
あざ笑うような声も、もう気にならなかった。
もともと自分には選択肢などなかったのだと新八は知った。
姉上は何も言わなかった。疑った僕が先走って、自ら罠に飛び込んだ。
役立たずどころか。
・・・疫病神だ。
今度こそ新八の意識は闇に沈んだ。
「おい、新八まだか?」
そんな声に銀時は振り返った。イラついた様子の仲間が、門番から解放された男に声をかけているところだった。
「一時ほど前に出て行ったきりだ。なんだ、煙草か?」
「ああ、使い頼んだんだけどよ…ったく、使えねぇ…っ!」
文句を言いかけた男だったが、こちらをじっと見ている銀時に気づき、口をつぐむ。
銀時が新八をかわいがっているのは、周知の事実だったからだ。
それに。普段はのんべんだらりとした様子の銀時が、本当は鬼のように強いということも。
体格だけは屈強で、銀時に勝っている男でも、剣を交えたら一瞬で絶命すると想像できるくらいには。
そのため、言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ男だったが、瞬間肝を冷やした。
銀時の目が、恐ろしいほど鋭かったからだ。
しかし銀時は男に目もくれず、隣にいた門番をしていた男に話しかけた。
「新八、帰ってねぇのか?!」
「はい、走って出て行ったのは確かなんですが」
「走って…?」
今度こそ銀時の視線に捕らえられ、男はひゅっと息を飲む。しかし、ぶんぶんと首を振り、自分の無実を訴えた。
「急げなんて言ってませんよぅ!…なるべく早くとは言いましたけど」
ごにょごにょと言い訳する男を尻目に銀時は駆け出した。
嫌な予感がする。こういう予感はいつも、あたってしまうものだ。
背後で安堵にへたりこんだ男のことなど頭の隅にも残らなかった。
「ヅラァ!!」
「・・・桂だ」
ぱぁん、大きな音を立てて襖を開いた銀時に、それだけ返し桂はため息をついた。
なんて顔をしているのだ、と言ってやりたかったがそんな余裕のある状態でもないらしい。
銀時にそんな顔をさせられるものと言えば、一人しか思い浮かばず桂も自ずと真剣な顔つきになった。
「何かあったのか」
「…いなくなった」
「確かか」
「煙草買いに行っただけなのに一時もどらねぇ」
「わかった、探しに行かせよう」
「俺が」
「駄目だ」
今の銀時を外に出したら、余計な火種も背負ってくるのは想像に難くない。
新八とてまったくの子供ではないのだ、戻れる状態ならば一人で戻ってくるだろう。
――そう、戻れる状態なのであれば。
「…銀時」
桂は再びため息をついた。どう考えたってこの状態の銀時がおとなしくしているわけがない。
「これを」
言って桂が差出したのは、小さな紙切れだった。薄汚れたそれには殴り書きで、住所らしき数字が書いてあった。
なぜこんなものを桂がよこすのか分からず、一瞬怪訝な表情をした銀時だったが、その紙切れを見直して目を見張った。
銀時の想像が正しければ、これは。
「あの女の勤め先だ。一応調べておいた」
「…お前が味方でよかったよ」
お互い様だ、桂が言うのを尻目に銀時は部屋を飛び出した。
ふわふわふわふわ。
寝たいのに、眠いのに耳障りな音が頭の中に響いて許してくれない。
勝手に口が開いて、何事かを目の前の相手に告げた。
「…ぐ、っ」
途端、呼吸ができなくなり、新八は身悶えた。ひくひくと舌が震え、飲み込めない唾液が首元を伝う。
たまらない嘔吐感に襲われ、えづくが何も吐きだすことができなくて、ただ呼吸だけが狭まっていった。
「ああ、身体に合わなかったようだねぇ」
のんびりと煙を吐き出す男が、蔑むように倒れ付したままの新八を見下す。
苦しくて、爪が畳を削った。近くにあった眼鏡もフレームがゆがむほど力いっぱい握った。しかし少しも呼吸は楽にならない。
冷たい汗が額に浮かび、生理的な涙が頬を濡らした。
苦しさは少しも楽にならず、男が煙を吐き出すたびに咽喉が引き攣り、息ができなくなっていく。
「まぁ、知りたいことは言ってもらったからいいだろう。死体は見つからないように捨ててあげるからね」
お妙を泣かしたくないだろ?
耳鳴りのような笑い声が、新八の鼓膜を揺さぶった。
あ、ねうえ
ごめなさ、い
ぼく はも う
――ぎん さ
少しばかり遅れて援軍を引き連れ、銀時の後を追ってきた桂だったが、目の前の惨状に言葉をなくした。
門から一歩中に入れば、そこは地獄絵図のようで。最早屋敷の中に生きている人間はいないであろうと思わせるには充分だった。
「か、桂さんこれは」
目の前の惨状に言葉もない仲間に、桂は屋敷を見据えながら答える。
「よく見ておけ」
血になれた桂ですら、目を背けたくなるような光景だ。それでも。
「これが、銀時だ」
新八が来て、恐ろしく人間くさくなった。いや、ようやく人らしくなったと言うべきか。
守りたいものが出来て、欲しいものができて。執着を知って。
今までの銀時なら相手の気持ちなど考えもせず自分のものにし、飽きたら捨てる、そんな生き物だった。
しかし、新八には違った。傷ついた場所を癒すように、新八の気持ちばかり考えて自分の心との温度差に煮詰まったりもして、失って。
取り戻したと思ったものを再び失って、遂に切れた。
困ったり怒ったり喜んだり、笑ったり泣いたりなんて、新八に会う前の銀時は殆んど感情を露にしなかったのだ。
ただ淡々と敵を葬るだけ。血を纏い、振りまきながら。
其の銀色は、命を、刈る。
「…本当にあいつが味方でよかったよ」
今は、銀時の邪魔をしないことだけが自分に出来ることだと、桂は仲間と共に門で戻ってくるだろう銀時を待つ。
そう、二人で。銀時と新八二人で戻ってくると信じて。
「新八はどこだ」
ひぃ、情けない声を上げて腰を抜かし、屋敷の主人だった男は尻でずり下がる。
男が襲撃の為に雇った屈強な浪人たちは、悉く目の前の銀髪の悪魔に斬り捨てられた。
まさかこれほどの手練れがいたとは。何とか逃げられまいかと男は周囲を見渡すが、味方は総て床に臥せっていた。
今や屋敷の中で生きているのは目の前の銀髪の男と、己のみ。
その事実に、男はごくりと息を飲んだ。どう考えても絶望的な結果しか見えてこない。
「新八はどこだ」
先ほどから同じ問いしか口にしない銀時だったが、胸中はたまらなく不安だった。
先ほど屋敷に乗り込むとき、見覚えのありすぎる草履を目にしていたからだ。そして。
主人の部屋に乗り込んだ時、床に打ち捨てられた、ひしゃげた眼鏡を見つけた。
かろうじてレンズは割れていなかったが、そのまま掛けるには不便があるだろうと思われるくらいに。
途端、銀時は咆哮していた。
何事かと戻ってきた主人や、その用心棒であろう男たちを見ても、少しも感情は動かなかった。
ただ、新八の姿を探して探して。
気づけば、部屋の中は血の海と化していた。
それでもまだ、新八は見つからない。どうすれば見つかるのか分からない。
「…新八はどこだ」
「し、しらないっ、わ、私は、殺してなんかないっ…」
恐怖のあまり墓穴を掘った男だったが、銀時には関係なかった。
知らないのなら、必要ない。早く、新八を見つけるためにも邪魔なものは排除しなければ。
ただ、それだけの思いで血にまみれた刀を振り上げた。
「待って」
凛とした女の声に、今にも男を刺し貫こうとしていた銀時の刃が止まる。
聞き覚えのある声は、息を切らしていたが確かに、お妙のものだった。
無表情にゆるゆると振り返った銀時の瞳に、肩を上下に喘がせながら立つお妙の姿が映る。
「ああ、いいところに!お妙、早く警察に…」
助かった、と思った男が言いかけた言葉を遮るように、お耐えはつかつかと銀時に近づき。
「あなたがやったら、いろいろとまずいでしょう」
いうなり、渾身の力でへたり込んだままの男の顔を蹴りとばした。
ぐひゃ、とかなんとか蛙のつぶれるような声を上げて、男は壁に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。
歯が何本か折れたようで、鼻からも口からも血を流している。
思わず唖然としてしまった銀時に、お妙はふぅと息をつき、少し笑った。
「私、クビかしら」
「…あたりまえだろ、なんであんた」
「新ちゃんに酷いことしたからよ。当然でしょ」
呆れたように返した銀時だったが、その言葉にはっと思い当たり、息を呑んだ。
そうだ、新八は。
血の気を引かせた銀時をみて、お妙は優しく声をかける。
「安心して、新ちゃんは無事です」
「・・・っ!」
ぐ、と声を飲み込んで銀時は俯いた。
「少し薬をかがされていたけど、大丈夫。間に合ったわ」
銀時の肩が震えているのを見て、もしかして泣いているのかもしれないと思ったが、お妙はあえて見ないふりをした。
門の前で待っていてくれた桂に事情を話した。頭を下げた銀時に、桂は何も言わず戻っていった。
銀時はといえば、お妙に案内され病院へとやってきていた。新八をつれてきたと言う場所だ。
ここに新八がいると思うと足が震えるが、気を取り直し待たされている間に銀時は、どうしても気になっていたことを問うた。
「ひとつ、聞いていいか」
ちらり、お妙を見やって銀時は口を開いた。そう、ずっと気になっていた。
「なんで帰ってきてくれたんだ」
そう。お妙は新八が銀時の元にいることを快く思っていなかった。
医者を探して駆けずり回り、足にいくつもマメを作ってさえ痛みを感じなかった程大事な弟だから、危険な場所から遠ざけたい気持ちは銀時にも分かる。
だったらなおさら、お妙が戻ってきてくれたことに疑問を感じずにはいられない。
「そんなこともわからないの」
ふん、馬鹿にしたようにお妙が鼻を鳴らしたが、腹は立たなかった。むしろ微笑ましいとすら思ってしまった。
反論してこない銀時が意外だったのか、一瞬お妙は目を見開いたが小さくため息をついた。
やがてポツリと。
「新ちゃんがあなたの名前呼んだんだもの」
思ったよりも早く言いつけられた用事が終わり、本当は一泊して帰る予定だったが、お妙は迷わず帰路についた。
今日のうちに戻れば、後の時間はお妙のものだ。もう一度新八の元へ赴き、説得するつもりだったのだ。
昔のように一緒にいれば、新八の気持ちも変わるに違いないと信じていたのだ。
屋敷に着くと、こっそりと自分の部屋に戻り、着替える。見つかってしまえば仕事を言いつけられると思ったからだ。
しかし屋敷に人影は少なく、お妙は首をかしげた。
どこかへ出かけるなどと聞いていなかったが、自分はいないはずだから伝えられなかっただけだろうか。
あまり気にせずいいだろうと結論付け、出かけるために部屋を出る。
そして主人の部屋の前を通りかかったとき聞こえた小さな声に―――お妙は耳を疑った。
「新ちゃんの、声だったのよ」
とても弱々しい、今にも消えてしまいそうな。
無礼を承知で主人の部屋に飛び込むと、まさかと思った光景が広がっていた。
頭が痛くなるような嫌な匂いが充満している中で、彼女の誰よりも大事な弟は、今にもその命の灯を消そうとしていたのだ。
悲鳴よりも何よりも先に、足が動いた。
何も言わず新八を背負い、草履も履かずにお妙は屋敷を飛び出した。
背中に感じる体温が、低く冷たくなっていくのが何よりも恐ろしかった。
「そのとき聞こえたの、あなたの名前だった。多分だけど…銀さんって」
新八が呼んだのが、生まれたときからずっと傍にいた自分ではなかたことに傷つかなかったと言えば嘘になる。
しかし、おかげでお妙は自分がとんでもない過ちを犯そうとしていることに気づけた。
今まで、お妙の言うことを何でも聞いていた新八が、自分の意見を持つ一人の人間であると。
お妙のコピーではないと、そう気づいたのだ。
「本当はわかってた、新ちゃんが私を必要としてたんじゃなくて私が新ちゃんを必要としてたってことくらい」
苦しげに吐き捨てたお妙に、銀時は目を丸くした。
「でも仕方がないじゃない。放したくないんだもの、たった一人の家族なんだもの」
それが本当の気持ち。新八は弱いから自分がいてあげなくては。
そう言い聞かせながら、本当に弱かったのは自分だったのだとお妙はつぶやいた。
暫らく黙ってお妙の話を聞いていた銀時だったが、ふぅと息をつき、病院の天井を見上げて、ぽつりと。
「鎖をつけて繋ぎとめておくよりか、あいつが放れたがらないような女になれば?」
「…簡単に言ってくれるわね。そういうとこ、嫌いよ」
少しだけ震える声で返すお妙だったが、泣いてはいなかった。それに知らず安堵して銀時は茶化すように返す。
「そりゃどうも失礼」
「ほんと、嫌な男。どうして新ちゃんはあんたみたいなのに引っかかっちゃったのかしら」
「そりゃ俺が釣ったからでしょ」
「…釣った?」
「口説いたって言いなおしてもいいけど?」
「…恥ずかしいオトコ」
「何とでも。ところでおねぇさん。弟さんを僕にください」
「絶対にイヤ」
べぇ、と舌を出したお妙に銀時は肩を落とした。
が、次のお妙の爆弾発言に勢い良く顔を上げる。
「ああ、そうそう。私もあなたのところで働くから」
「はい?」
「だって、非合法な薬の売買で私のご主人捕まっちゃったんだもの。仕方ないじゃない」
「え、あ、仕方ないって」
「おかげで主人に対する暴行は有耶無耶に出来たけど、あなたがやってたらこうは上手くいかなかったのよ」
犯罪者と言っても、元は侍だ。確かに攘夷派である銀時が手を下していたら、ついでとばかりにこちらの手も後ろに廻っていただろう。
それがわかるだけに、ぐうの音も出ない銀時だった。
「姉弟共々お世話になりますから、よろしくね」
にっこりとほほえんだお妙に、銀時はつくづく女の強かさを見た気がした。
弟さん、目を覚まされましたよ。
看護士がお妙に声をかけるのは、その数分後だった。
ご都合主義ですみません…頑張ったんだけどなあ。
この後の銀さんと新ちゃんの初H(!)は皆さんの心の中でって言ったら怒る?